苦しさを乗り越えるコツを知る:坂口恭平『苦しい時は電話して』

カルチャー

坂口恭平さんのことはしばらく前からTwitterでフォローしていて、電話番号を公開していることなど、自殺を防ぐ活動をされていることは知っていた。ただ、そこまで直接的に自分の状況が坂口さんが防ごうとしている状況と重なるとは思っていなかった。

いつのころからか、とても気持ちがしんどくなる日が増えてきて、とうとうこれは普通ではない。いままでとは何か違う、そう思った時に手に取ったのが坂口恭平『苦しい時は電話して』だった。本の内容はこちら。

死にたいほどつらくて苦しい時、人は何をするのが最も良いのか? 躁鬱病を患う著者が、「死にたい人」からの電話を10年受け続けてわかったこと。

【著者メッセージ】 090-8106-4666

これは僕の携帯電話の番号です。

僕は「いのっちの電話」という、死にたい人であれば誰でもかけることができる電話サービスをやっています。もちろん無償です。本家本元「いのちの電話」がほとんどつながらないという現状を知り、2012年に一人で勝手にはじめました。1日に7人ほどかけてきます。なので、1年だと2000人を超えます。もう10年近くやっています。

なんでこんなことをはじめたのか。

なぜなら、自殺者をゼロにしたいと思っているからです。

自殺者がいることが当たり前になってしまっている。そのこと自体が異常なのではないかと僕は思います。もちろん、それぞれの人生はそれぞれに決めることができるので、自ら死にたい人を止めようとするのはどうなのか、それも人間の自由ではないかと思われる方もいると思います。

僕も何度かそう言われたことがあります。そう言われれば、わからないことはありません。いや、どうかな……やっぱり納得できないところがたくさんあります。   なぜなら僕自身も死にたくなるからです。

あなただけではないんです!

もちろん、1年に何万人もの電話を受けることはできません。僕にできるのは1日に10人が限界だと思います。そこで、いつも電話で話していることをこの本に書いてみることで、電話だけで対応できない人々にも、死ななくてもいいんだと感じてもらえるのではないか。

そんな気持ちからこの本を書くことにしました。

出典:『苦しい時は電話して』(坂口 恭平):講談社現代新書|講談社BOOK倶楽部

リモートワーク強者という思い込み

ここから自分の話。コロナ禍以降、急激にリモートワーク化が進んだ。もともと「そのうちにテクノロジーが発達してリモートワークが進むだろうし、環境がよくて都心には通える程度の郊外に住もう」そう考えていて、中古マンションをリノベして東京のある台地に住み始めた。このブログももともとは自宅のことについて書こうと思っていたのが、いつの間にか書評ブログのようになってしまっている。

古いマンションだが、その分つくりに余裕があり、光通信などのケーブルも宅内までしっかり通っており(新しいマンションの一部は容積率を稼ぐために内部の空洞が少なく回線工事が難しいところもままあるのだとある業者に伺いました)、仕事でも、もともとクラウドサービスをがっつり使っていたので、リモートワークへの移行は何の問題もなかった。初めのうちは「通勤がなくなり、楽になった」「自分はリモートワーク疲れとは無縁だな」と思っていた。

だが、そんな見立てはやや甘かったようで、次第に心身のバランスを崩していくことになった。一昨年は仕事関係で著書を書いたりなどバタバタしており、最近は家族の大病などもあり、ひたすらバタバタしていたが、なんとかやっていた。しかし、色々落ち着き始めた最近になって、休日ごとに「何もしたくない」「楽しいことがない」といった状態になってしまった。

仕事と休日の落差から負のループに陥る

普段、仕事をしている日はとても忙しい。朝の私用での外出が終わったら自宅のデスクにつく。クリエイティブ系の仕事ではあるが、いわゆる中間管理職なので、連日朝から夜までほぼスキマなくびっちりリモートミーティングがあり、1日はあっというまに終わる。日中自分の仕事をする時間が無いので、22:00ごろに寝て、3:00に起きてまた翌朝まで仕事をする。そういった生活をしている。

仕事そのものにはやりがいを感じているし、面白い。だから日中はそれほどしんどくはない。問題なのは休日、特にひとりで過ごせる時間を家族が作ってくれた時、普段との落差がとてもしんどかった。何でもできる。とはいえ夜自宅に帰るまでには、長くて5〜6時間程度しかない。ゲームをしたり、映画を見たり、本を読んだり、こういったことをしてもそれで十分に充足するとも思えない。それなのに目の前には、忙しかった時に溜め込んだあれやこれやが積もっている。

そういうものを目の前にして途方に暮れ → 楽しめないことに落ち込み → 家族と離れてひとり落ち込んでいる自分に苛立つ → 家族にもうまく話せず、ギクシャクしてしまう → また落ち込む。そういった負のループに陥って消耗してしまっていた。そして、たまに疲れ果てて、疲れた、消えたい、というぼんやりとした消極的な死=活動停止への希求を感じ始めていた。

苦しさはカラダからやってくる

そんな時に坂口恭平さんの『苦しい時は電話して』に出会った。いつものように、自由な時間を確保したはいいが、どうにも気力がない日だった。なんとなく、書店に行って何か本を探そう、喫茶店で買った本を読もう、とそういう気持ちになることができた。小規模で5分か10分程度あればぐるっと回れてしまい、カフェも併設されている「マルジナリア書店」へ足を運んだ。こういうしんどい時には、ネットも大型書店も億劫になる。小さな店のセレクトされた本立ち。この限定性が優しく感じられる。店内をぐるっと周り、この本を見つけて、買い、コーヒーを飲みながら最後までその場で読んだ。

読みながらなんども「そうそう」「なるほど」と思うところがあった。読後の最初の感想は「助かった」。休日ごとにやってくる無気力や苛立ちは何なのか、ずっと混乱していたけど、その正体がやっと理解でき始めた気がした。

詳しくは本を読んでもらうべきだと思うが、自分の状態を本の内容も踏まえて整理するとこんな感じだろうか。

  1. 平日、アタマを使い続け、カラダはろくに動かさずで心身のバランスが著しく崩れていく。やるべきことが続々目の前に迫るので、それをどんどんこなしていく。
  2. 休日。カラダは疲弊していて休みたがっている、アタマは遊びたがる。
  3. 理性は自分のやりたいこと、やらなくてはいけないことを並べ上げ、自分が使える時間のカウントを始める。もう結果は見えている「どれもできない」。
  4. やりたいことに対して何もできない状況から後悔が始まり、考えても仕方がないのにネガティブな思考ループが止まらなくなる。

こういった状況を坂口さんは著書のなかで、著者自身の状況を例に挙げながら、きちんと言葉にしてくれた。それを読んでやっと自分がどういうしんどさのなかに囚われていたのかに気がつくことができた。ごくシンプルな話で「カラダが疲れている」ということだ。

充実したいから死にたくなる

この本を読んで、特に良かったのはその即効性だ。

3章「不滅のジャイアン」では、私たちは、意志とは無関係に、超生真面目な「ジャイアン」がカラダやアタマが求めること(例えばカラダの休息であり、価値ある仕事だったり)を私たちにやらせるために暴れている、と説明される。そして、坂口さんは、この暴れ者をなだめるためには、まず頭を使うことをやめて、体がリラックスできることをしよう、一つひとつ体が気持ちいいと感じることをしよう、と呼びかけてくれる。

何の問題も抱えていない方には馬鹿げた話に聞こえるかもしれないが、体を休ませることを一つひとつする、このシンプルな優先順位づけ、明確な指針ができたことがとてつもなくありがたかった。もっとも、こういうことは何度も繰り返し聞いている。職場でも、家庭でも。しんどい時は休みなさいと。でも何故だろう、それだけでは行動に移せなかった。多分、利害関係が近いからなのだろう。仕事では生産性を上げなければいけない、家庭では(多分に自分自身のこだわりによって)家事をこなさなければならない。そういう気持ちが先立ってしまって、ペースダウンすることができなかった。

休日の真っ白なカレンダーに圧迫感を感じていた。そこに、ちょっとした掃除、ちょっとした休憩、そういったものを入れるだけで、しんどかった休日が驚くほど負担のないものになっていった。書店に併設された小さな喫茶スペースで本を読み終えるまで約2時間くらいか。たったそれだけで、しんどい気持ちを多少晴れやかにできる、そういう方法に気づくことができた。

そして、その後の7章「天下一の生真面目人間だから」もとても良かった。

坂口さんは、自分の死に向かう気持ち、自分を否定する気持ちを「ありのままの自分を一切受け入れられないのは、もっと充実したいと熱望しているからではないか」と説明します。これは目から鱗でした。確かに、何かをしたい、そう考えるからこそ、できていない自分を責めてしまう。そういう構造に気がつくことができました。

また、自分を否定してしまう状況を小説家のサミュエル・ベケットの言葉を引いて説明します。「表現の対象がない、表現の手段がない、表現の基点がない、表現の能力がない、表現の欲求がない、あるのは表現の義務だけ――ということの表現だ」これもまた、非常に思い当たるところがあります。自分自身は職業として表現に関わっているので、能力的なところでは当てはまらない部分もありますが、逆に仕事ではこれら全ての表現に向けて100%力を出せる環境があるが、休日になると何かしたい、有意義なことをしたいが分からない、という自分自身が課した義務に囚われてしまう、といった状況があったように思います。

このようなしんどさのメカニズムを説明してもらえたことが、自分にとってはとても良かったです。なるべく体を休める、快適に過ごせるような工夫を優先して行いながら、有限な時間をどう使うか、大したことはできないという状況を認めて一つひとつ何かちょっとでも現状が良くなるようなそんな具体的な工夫をしていくことができるようになりました。

タイトルにもなっている電話、電話番号を携帯に入れておくことも考えたが、やめました。電話したくなることがあるかもしれないし、入れておいても良かったんだろうけど、何だかもう十分なものを与えてもらった気がしているし、変に直接話すよりもこうやって少し距離を置いた文章から影響を受ける方がいいと思ったのかもしれない。

でも何にせよ、助けられました。この場を借りてこの本を書いて下さったことにお礼を述べたいと思います。

追記

2022年9月11日に、Twitterで「いのっちの電話」の休止を宣言されていました。主体的に他人のつらさに対しても向き合いたいということがもう一つの充実に対する希求だったような気がします、少し安心しました。

https://twitter.com/zhtsss/status/1568957712784039936

Photo by Ben Collins on Unsplash

コメント

タイトルとURLをコピーしました